自撮り棒

アイディア, ワンセルフ

「自撮り棒」の普及が日本人の国民性を変える可能性(3)

15 4月 , 2015  

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前回と前々回の記事の続きです。

「自撮り棒」の普及が日本人の国民性を変える可能性(1)

「自撮り棒」の普及が日本人の国民性を変える可能性(2)

 

この記事が投稿される4月15日です。僕の誕生日です。まあ誕生日はどんなに怠惰に過ごしていても、どんなに頑張っていても365日生きれば平等に来るので、、と言いたいところですが、時間の流れは絶対的に共通ではありません。「人」や「モノ」はそれぞれ固有に流れる時間を保有しているのです。これはいつか書こうと思っている「アインシュタインの相対性理論とタイムマシン」の記事の中で書きますね。。。

 

「自撮り棒」をテーマに日本人の僕が個人的にあまり良い文化ではないと思っている「謙遜」という国民性について書いてきました。

 

映画監督は自身のつくる映画にメッセージを込めてきます。僕も一応、色んな意図を込めてこのブログを更新しています。いるつもり。そんな難しく考えてないけど。。

 

以前の記事の最後で日本人間で共通してある「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」という共同幻想の中から抜け出してしまう個人も中にはいて、多くの人にはできないような偉業を成し遂げるような人はこの共通認識から(おそらく意図的に)抜け出している場合が多いのではないかという仮説を書きたいと思います。

 

その人達はこのような共同幻想があるというのを決して知らないわけではありません(おそらく)、意図的にこの共同幻想の中から抜け出た、もしくは抜け出ないと自分の目的を達成することができなかったのです。僕はこの共同幻想の中から完全に抜け出ている個人の例として、エピソード付きで、サッカー日本代表の「本田圭佑」氏と元ライブドア社長「堀江貴文」氏を挙げます。この二人は圧倒的に日本人の間にある「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」という共同幻想の枠から抜け出ています。かつ、本田圭佑氏は「サッカー」というフィールドで、堀江貴文氏は「ビジネス」というフィールドでそれぞれ(国内なら)トップレベルで圧倒的な結果を残しており今でもそれぞれのフィールドの第一線で活躍しています。

 

本田圭佑氏

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2009年9月5日 日本代表対オランダ戦

本田「オレに蹴らせてください!」

中村「・・・・(苦笑)」

本田「絶対に!絶対に決めるんで蹴らせてください!」

中村「・・・・・・・」

 

圧倒的に抜け出していますね(笑)。これは本田圭佑氏と中村俊輔氏の不仲説きっかけになった事件ですね。当時は本田氏はかなり炎上していました。この後、中村俊輔氏は「あいつ(本田)をぶん殴ってやりたい。」と発言したとされています。そしてこの時、本田氏と中村氏のそれぞれが思う日本代表のチームが目指すチーム像には差異があります。

 

本田氏は「これからは一人一人の「個」のレベルアップが大切になってくる。個人がレベルアップしないと始まらない。結局は「個」なんですよ。」

中村氏は「個人の力だけじゃ限界がある。」と明言しています。

 

サッカー観は選手それぞれで僕もサッカー経験者でありますが、圧倒的に僕とサッカーへの理解度が違うこの二人の意見に「どっちが正しい!」などと言うつもりは全くありません(というか言えないのだけど)。ただ、この二人にはサッカー観には明確な違いがあったのです。次に例に挙げる堀江貴文氏もこの本田氏も違う分野である共通した発言をします。

 

堀江貴文氏 

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元ライブドア社長で野球球団やフジテレビ社を買収しようとしたり、証券取引法違反の容疑で逮捕されていたりしますね。僕はFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグ氏も好きですが、同じくらい堀江貴文氏もライブドア社も好きです。過去にライブドア社についても調べましたが、ぜひライブドア事件については深く調べることをお勧めしますね。。 とても残酷なものであったと思います

 

堀江貴文氏も経歴や発言を少し調べればわかりますが、この共同幻想の中から完全に抜け出ています。そして本田圭佑氏と同様に、彼も「個」を重要視する発言をしばしばしています。(正確には重要視というかより個人が際立つ時代が来るべきであるという趣旨ですが)

詳しくは下記URLへ

http://www.gizmodo.jp/2013/10/horie_takafumi_int01.html

 

個人の発信力が上がり個人が強力なメディアとなり「個」が際立つ時代が来るという趣旨ですね。

 

彼らは今でこそ、それぞれの分野でトップレベルの結果を出し、謙遜する時もしばしば見受けられますが、若い時期に双方この「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」という共同幻想から抜け出し、これを裏返した「闇雲に自分を押し出し、謙遜をしないのは美徳でない」という共同幻想、いわゆる「出る杭は打たれる」という文化に見事にハマってしまっています。僕はこのような人達がもっと日本から出てくるべきであると強く思います。恐らく、この二人は(根の性格が自己主張が強いというのもかなりあると思いますけどw)必要性からこの共同幻想の中から抜け出たのではないでしょうか。彼らは二人とも激しい競争社会の中で生きてきたはずです。短期間で自分の能力をアピールして認めてもらえないと自分の目的が達成できない世界に生きてきたのでしょう。

 

この「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」=「出る杭は打たれる」という日本人間に共通してある共同幻想が、彼らのそれぞれのフィルードで成長する上で(少なからず)足枷になり、彼らのそれぞれのフィールドでの進歩を妨害したのではないでしょうか。この共同幻想がなければ更に早いスピードで大きい結果を出せたのではないでしょうか。僕はこういう意味でも決して「謙遜するのが美しい」といった風潮は決していいものではないと思います。

 

これから日本を含め、世界はグローバル化し、様々な国の人種や文化が地球上で混じり合います。僕自身は「海外進出したい!」みたいな欲はほぼ皆無で、今はフリーターのようなものなのですが、自分の目的を達成するための必要性から、海外にいる日本人とGoogle社の提供する通話サービスハングアウトでミーティングをしたり、アメリカの法人と連絡を取ったり、中国に親会社がありこれから本格的に日本で事業展開しようとしている事業を手伝ったりとヒシヒシと押し寄せるグローバル化の波を感じます。。

 

「国家」を「個人」に置き換えてみましょう。多くの国家の中で、「日本」だけが「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」と考えていたとしましょう。これは「日本」にとって何か得でしょうか。「日本」はやはり「きっちりしていて礼儀正しいな〜」と好感度が上がるくらいかもしれません。島国の中で全員がこの共同幻想を抱いてる状態なら全員が幻術の中にいるようなものなのでいいかもしれませんが、これから来たるべき時代に合わせてこの「謙遜が美しい」という風潮は捨て去るべきものだと思います。

 

 

僕はこのテーマの最初の記事で書いたように、日本人は、日本人の間で「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」という共通認識があるから「謙遜する」のであり、この共通認識がなかった場合に「謙遜する」という行為そのものは一切メリットがなく、デメリットしかない行為であると考えていると記載しました。

 

詳しくはまだインターネット上の何処を探しても出てきませんが、僕たちが開発するONESELFはより強固な「個」の時代を作り上げるきっかけになる可能性もあるサービスです。自分の長所を最大限アピールし、その長所が他の人達と比べてどれくらい優れているのか?自分が長所だとおもっているステータスは世間全体と比べた時に本当に長所なのか?というのがわかるサービスになる予定です。つまり、まずは自分をアピールできなきゃ始まらないのです。一生懸命勉強して、一流大学に入学し、大卒の肩書きを得たから安泰だという時代はこの10年間で急速に変わりだすと思います。シニア層以外へのスマホの普及が完了しつつある今日、これから誰も見たことがない速度で急速に世界は変わり始めます。僕たちの子供はもう「まだ大学になんて行くの??ナンセンスだよ!」なんていう価値観が定着していても全くおかしくないと僕は思います。

 

もしも、ONESELFが成功し、多くの日本人が日常的に使うサービスになった時、この「むやみに自分を押し出さずに、謙遜をする(できる)のが美徳である」という共同幻想は(恐らく消滅することはないですが)大きく変化するでしょう。私たちはこのような世界を作り出すためにも活動しています。

(私達が実現したい社会は公式ホームページの「概要」メニューにスライド式で解説されています)

 

「自撮り棒」の普及に僕が日本人の国民性の変化の兆しを感じたように、誰かがONESELFに変化の兆しを感じてくれたら幸いです。

 

 

あききよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

akikiyo By  -      



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